腰痛に悩む人のための腰痛セルフケアアドバイザー城井のブログ@鹿児島

自分の腰痛解消のために学んだ試したアレコレ備忘録。

35年も経ってきづいた臨死体験から学んだこと。

『僕の本体は、魂だった』

  

これが35年も経ってきづいた

僕の臨死体験からの学んだことです。

 

 

 3月に書いた↓ 下のブログで気付いた35年前の記憶からの続きです。

 やっとわかったこれ、

書くのを躊躇っていました。

 

だって、変な人ランキング、

上がってしまいそうー。

世間的に。

ご近所づきあいもあるからー。

 

でも書いてしまおう。

 

違うよって、いわれるかもしれない。

 

もし、違ったとしてもいいのだ。

 

この気づきから、

僕は、行動的になれたのだから。

 

その結果、自分のことをどんどん好きになれているし、

なんだか、良い循環の中に身を委ねている感覚です。

 

だから、皆さんになんとか伝えたい。

 

『僕たちの、本体は 魂でした』

 

そんなの知っているよね。

聞いたことある。

 

でも、

”知っている”

のと、

”実感がある”

では、やっぱり違うんです。

 

で、この気づきを踏まえて

どんな思考になっていったかというと

 

 

その1

錬堂師匠がいつも言ってる

『身体は、この世界での借り物』

 

まずは、この言葉が重みを増してきます。

そりゃそうだよね。

一気に腑に落ちちゃった感じ。

 

「自分のものでなく、借り物なんだから、

キチンと手入れして目いっぱい使えるようにしておかないといけない。」

 

僕たちは、いつも言われてます。

めいっぱいつかってこそ、大切にしたということ。 

 

その2

本体は、魂。

である以上、

『魂を喜ばすような行動をしていくのがいい』

 

だって、肉体的に死んでも、

魂なのか意識なのか、わからんけど、

 続きあるから。

 

魂喜ぶことしておかないと、

後悔することになるかもしれんから。

 

魂になってから後悔しても、

当たり前だけど、

肉体あるときの行動は取れないからね。

 

ホントに当たり前なんだけど。

 

だから、生きてるうちに、

照れてないで、

 

好きな人には好きだと伝え、

 

話してみたい人には、話しかけよう

 

話したいのに、

人見知りなんてそんな暇ないよ。

 

近くに寄っていったり、

やってみたいことはした方がいいし

良いことなら、どんどんやる。

 

その上で恥ずかしい思いしたっていい。

 

その経験こそが、魂が求めてること。

 

恥ずかしがってる場合じゃないんだよね。

 

生きてる時しか、経験値あげられない。

 

だって、死んだら話せなし、

いつ死んじゃうかわからないんだから。

 

書いててホント当たり前のような、

ちょっと、仏教かなにかのような

 

そんな感じだけど。

 

先月、

僕の友達が亡くなりました。

 

最近はそんなに親しくしてはなかったけど、

一昨年の夏は、一緒に熱い夏を過ごした仲間。

たしかにあの時、

僕たちは、

すごく熱い時間を共有できてたと思う。

 だから、そこに関して、僕は後悔は無い。

 

もちろん、

もっと普通に長く生きていて欲しかったけど、

人の死はいつだれにもわからない。

 

だからこそ、

恥ずかしがってる場合じゃないんだ。

 

いつかでなく、今。

 

そう思ったら、

これ書いておかなきゃと思いました。

 

 

その3

『本体(魂)は、元々ひとつ』

 

これはまだ仮説で、

さいきんの他の体験と合わせての複合技なんだけど

 

もしかすると、

僕たちは

やっぱりそうか

元は一つだ!ということ。

 

これは、どういうことかというと

 

先月、熊本復興支援セミナーでの学び。

 

ペアを組んで、

『片方の意識が変わると、もう1人の意識も変化する。

それを身体の感覚が認知できる』

というのを何度も、何度も体験しました。

 

意識でもそうだし、身体を使っても同じく。

 

この学びと

 

『魂が本体』

 

を、合体させると、、、

 

『本体(魂)は、元々ひとつ』なのかももしれない

 

になるわけです。

 

なぜなら、別々のコップのお水があるとして、

片方に墨汁入れても、

もう片方は墨色にならない(変化しない)

 

でも、

片方が変化すると、

自動的にもう片方も変化してしまう。

 

ということは、

ほんとうは同じコップの中にいるのか?

もとは1つか?

 

それとも、

別々っぽいけど

インターネット的に

全世界がつかながってる。

 

そういう感じか?

 

と、思えてならないわけです。

 

これは、困ったことに、

誰とでもですよ。

 

親子、恋人だけでなく、

今、その辺を歩いている人、

見知らぬ外国人でもだれでも。

 

大好きなあの人も、

大嫌いなあの人もです。

 

だって、

近くの誰かが、イライラしてると、影響受けちゃうでしょう

ニコニコしてるだけで、こちらも気持ちいいでしょう。

 

親切にして、

喜ばれると自分も嬉しいでしょう。

 

ひどいことを誰かにしてしまった後、

1人になって落ち着いてから思いだして、

自分が傷ついたりすることもあるでしょう。

 

裁いて凹ましてやった相手を見て、

どこか晴れない自分の一部。

 

ぜんぜん本音で話すつもり無かったのに

向こうが、本音で話してくるから

こっちまで本音トークになってたり。

 

落ち着いた人が近くにいてくれるだけで自分もなんだか、

ゆったりリラックスできていたり。

 

これ、

精神つながってるってことじゃないかな。

 

もし、もし、それを受けれるならば

目の前の姿カタチ違うその人は、

一部、自分だよね。

 

それなら

こっちの自分を大事にしているように

 

目の前の姿カタチ違う自分も大事にしていこうという気になる。

 

その方がこっちの自分も嬉しいはずだ。

 

 

はい。

こんなちょっと、

精神世界大好きなの?って僕ですが、

ところがどっこい

腰、肩こり、膝の痛みとか、小顔、脂肪取りなど

現実の身体のケアが専門です。

 

 

5/29(月)

ルミエル2F

13:30~15:00

身体のセルフケアのプチ講習会やります。

こんな変な話はしませーん。

まじめにやります!

 

詳しくは↓

お待ちしてまーす。

www.facebook.com